chanbara: kyo-ju: rosamour: ブント戦旗派と土田邸ピース缶爆弾事件 赤軍派の分派以降、ブントは分裂を繰り返します。どちらかといえばアナーキーな寄り合い所帯だったブントを、中
chanbara: kyo-ju: rosamour: ブント戦旗派と土田邸ピース缶爆弾事件 赤軍派の分派以降、ブントは分裂を繰り返します。どちらかといえばアナーキーな寄り合い所帯だったブントを、中核派や革マルのような組織を持った党として再建しようという方針で、荒岱介は戦旗派を結成します。他ブントからは、ブント革マルと呼ばれずいぶん憎まれたようです。 日比谷公園の集会で1日に2回も集団内ゲバをやってますね。鉄パイプや竹ざおで武装した集団ゲバです。最初に赤軍派残党と関西ブントが連合した左派とゲバって、次に右派の叛旗派とのゲバです。 集団ゲバでは勝ったけど、荒岱介が個人テロで襲撃され重傷を負うという事件が起きます。下手人は関西ブントの軍事組織だったらしい。しかも療養中にせっかく再建しかかった戦旗派が分裂してしまいます。 「。。。私たちの組織の分裂劇の真相は新左翼運動の中でも謎とされている。このあたりは今でも多くを書けない暗闇の部分がある。私は病床にあったのでわからない部分も多い。その当時の人間が墓場まで持っていくべきことなのかもしれない。結局、七〇年に組織結集を開始した戦旗派は、七二年の春に四つに分裂してしまったのである。(荒岱介)」 実はこのような事情があったとささやかれています。 1971年に警察官僚の自宅に小包爆弾が送られ死者がでるという事件が起こりました。犯人としてノンセクトグループが逮捕されましたが、裁判の結果デッチ上げだということが明らかになっています。事件は迷宮入りになっています。 この事件は、戦旗派の軍事組織が暴走して行ったのではないかとささやかれています。事件の数ヵ月後に戦旗派は火炎ビン闘争を行い100人以上が逮捕されています。その際に警察に自供した者がいたらしい。すでにノンセクトグループをデッチ上げ逮捕していた警察は、メンツもあって戦旗派に本格的な捜査の手を伸ばしませんでした。しかし権力のそんな事情はセクトには分かりません。爆弾闘争を行い死者まで出したセクトがどれほどの弾圧にみまわれることか…。下部の暴走とはいえ最悪の場合は指導部も死刑です。指導責任や対弾圧で大混乱となったのは容易に想像がつきます。その結果、組織が分裂してしまったのではないだろうか。 Wikipediaの共産主義者同盟の項ではこのように書かれています。 「。。。ブント戦旗派の地下軍事組織が爆弾闘争を行い(黒ヘルグループが冤罪で逮捕された事件) 、その総括をめぐって、戦旗荒派と戦旗西田派に分裂する。」 確定した事実のように書いていますが、この件に関しては逮捕者もいなければ実行犯で証言した者もいません。これはあくまでウワサにすぎません。この当時の戦旗派は、赤軍派に反発した部分による組織建設重視路線で内ゲバには熱心でしたがどちらかといえばアンチ武闘派でした。それが爆弾闘争までいってしまうだろうかという気はします。ただ、こういうウワサが出てくるような、よほどのことが分裂の際にあったんだなとは感じます。 -- source link