gtokio: 1961年のバス路線図(東京都交通局) 3.路面電車とバス(1953年~1971年) 東大の第2食堂前のロータリーにあった「安田講堂」バス停ですが、このバス停の名前は1957年の民間
gtokio: 1961年のバス路線図(東京都交通局) 3.路面電車とバス(1953年~1971年) 東大の第2食堂前のロータリーにあった「安田講堂」バス停ですが、このバス停の名前は1957年の民間の地図では「東大構内」になっており、東京都交通局の1961年の地図でも「東大構内」になっているので、1957年以前にバス停の名前が変更されたようです。これは1961年のバス路線図です。 東京都交通局の「乗客交通量調査集計書(1965)」に、1965年に行われたバスの乗り降り調査の結果が書かれています。この中にある学01・学07での調査を一部紹介します。 1日の乗車・降車人員(単位・人) バス停乗車降車 農学部裏00 弥生町(門)00 安田講堂36172248 東大病院17563174 病院入口379690 御茶ノ水駅前42323742 御徒町駅前8851326 上野駅前953643 当時の路線は、学01が(東大農学部-東大農学部裏門-東大裏-弥生門-安田講堂-東大病院-病院入口-御茶ノ水)、学07が(東大農学部-東大農学部裏門-東大裏-弥生町-安田講堂-東大病院-病院入口-御徒町駅前-上野駅前)です。この調査だと「東大農学部」バス停などが残っており、路線としては安田講堂より先も存続していたことになります。しかし、乗り降り調査ではいずれのバス停も乗降客数が0人となっており、路線としては残っていてもバスの運行は実際には行われなかったことが分かります。これをまとめると、1965年当時は、学1は1日に3822人、学7は1日に8003人の人が利用していたことになります。 ここでは「病院入口」「安田講堂」というバス停の名前が出てきますが、これ以外の地図に書かれているバス停の名称から考えれば、この名称はバス停の通称名で、正式なバス停の名称は1961年のままだと見るのが妥当でしょう。 都バス学01・学07のはなし - 知っているようで知らない東大のハナシ - 東大ガイド - UT-Life -- source link