k-nakama: ある路線の終りの駅である終着駅には、 大きく分けて、頭端式駅と通過式駅という、 2つのタイプがあるのだそうです。 . 頭端式駅というのは、 「線路がそこで行き止りの駅」のことで、
k-nakama: ある路線の終りの駅である終着駅には、 大きく分けて、頭端式駅と通過式駅という、 2つのタイプがあるのだそうです。 . 頭端式駅というのは、 「線路がそこで行き止りの駅」のことで、 通過式駅というのは、 線路に平行につくられた駅のことです。 . もともとヨーロッパでは、大きな終着駅のほとんどが、 頭端式駅になっているのだそうです。 . ただ日本では、頭端式の終着駅は少なく、 ほとんどが通過式駅になっています。 . 『駅再生 スペースデザインの可能性』という本によると、 その経緯というのが…。 . 明治5年(1872年)に、新橋~横浜間で、 初めて鉄道が開通した時には、 ヨーロッパにならって、 その両端にあたる新橋駅と横浜駅は、 頭端式の終着駅となっていました。 . その後、関西で鉄道が建設される時に、 大阪駅をどのような形式にするか検討した結果、 「往々の便利がある」という理由から、 通過式駅の案が採用されました。 . 頭端式駅とした場合、 けん引する機関車をつけ替える必要があることや、 同じ線を上り下り両方の列車が使うため、 線路の本数が余計に必要になってしまうことなど、 列車運行上の問題が多い上に、 駅の建設費が多少高くなってしまう、 といったことが、その大きな理由であったようです。 . この大阪駅での判断が、その後、 「日本の大都市におけるターミナル駅において踏襲されて、 そのためわが国においては近郊型の私鉄の駅を除いて、 ほとんどヨーロッパ型の大終着駅はつくられることがなかった」、 といいます。 . そしてこの時の、 「ヨーロッパの大都市ターミナル駅は頭端式が主流の時代」に、 あえて通過式駅の方が合理的であるとした判断は、 当時としては、相当に画期的なもので、 「日本における鉄道建設に、独自性と自信を生み出した」、 という面があったのだそうです。 . 理由を聞いてみると、 いちいち、なるほどと思うことばかりなのですが、 その一方で、今となってみると、 日本の駅の建築がどれも、なんとなくパッとしないのは、 このせいもあるのかなあ、と思ったりしました。 . だって、この考え方では、駅は、 辿り着くべき「目的地」ではなく、 単なる「通過点」にすぎない、 ということになってしまいますから。 . やはり駅も、 ようやく辿り着いた、とか、 いよいよ出発だ、というような感じで、 単なる「通過点」ではない、 何らかの「目的地」になっている方が、 旅情をかき立てるような気がします。 . そして、 列車運行の合理性や経済性以外の、そうした感情的な面では、 そこで線路が行き止まりになり、 重厚で手の込んだ建築がそれを受け止めるように建っている、 ヨーロッパ式の頭端式終着駅の方に、 かなりの分があるような気がしました。 . そんな風に感じさせられた、 ミラノ中央駅。 . 鉄とガラスで出来た巨大なアーケードと、 それを受け止めるように建つ、 重厚な石づくりの古典主義風の建築。 . まるで絵に描いたような空間。 ちょっと非日常的な感じがするほどに大仰。 . 巨大なガラス屋根の下で離発着する列車を見ているだけで、 なんとなくワクワク、ドキドキするような感じがあり、 旅の出発点や終着点にするのにふさわしい場所のように感じました。 . 駅の姿が現在のようなものになるきっかけとなった、先の判断は、 当時としては、 大変合理的で画期的、確かに正しかったように思います。 . ただ現代においても、 全部が同じようなものばかりということが、 果たして当時と同じように合理的であるのかどうか。 . 出来る事なら、全部の駅が異なっている方が、 それぞれの地方に特色が生まれて、 旅が楽しくなりそうな気もしますし。 . かつてとは異なる、別の合理性を考えてみるのも、 いいのではないか、という気がしました。 . http://knakama.seesaa.net/article/388076993.html . -- source link