k-nakama: フランク・ロイド・ライトが、 「MY SON(私の息子)」と呼び、 絶大な信頼を寄せた、建築家、遠藤新。 . 元々、ライトの作品を、 海外の出版物で見て、憧れていた彼は、 そのラ
k-nakama: フランク・ロイド・ライトが、 「MY SON(私の息子)」と呼び、 絶大な信頼を寄せた、建築家、遠藤新。 . 元々、ライトの作品を、 海外の出版物で見て、憧れていた彼は、 そのライトが期せずして、 帝国ホテル建設のために来日し、 日本人のスタッフを探しているということを聞きつけ、 願ってもないチャンスと駆けつけた、といいます。 . はじめて憧れのライトに会った時の気持ちを、 後に、こんな風に書いています。 . 「げにも天才は不思議。 それが現在生きていることは更に不思議。 そしてその天才と親しみに浸り思慕の情を傾ける立場にいることは 更に身にとっての不思議」…。 . その後、 帝国ホテルの工事は、困難を極めます。 . 工期の遅れや、大幅な予算オーバー等、様々なトラブル。 . 結局、 一部オープンを見届けて、 ライトは事実上解任されることになり、 残りの仕事を遠藤新に託して、帰国します。 . 自らのスタッフを率いて、 帝国ホテルを完成まで導いたのは、 遠藤新でした。 . ライトの帰国後も、遠藤新は、 ライトののこしたものを受け継ぎ、活躍を続けます。 . 帝国ホテル竣工後に、 ライトの作風を真似た「ライト式」が日本で流行った時には、 こんなことを語っています。 . 「日本にはライト式というあさましい言葉がありますが、 一つや二つの建築の手法の末などはライトさんの全貌からすれば 全く相去る万里(ほど遠いという意味)なのです。 一番大切なのは、 あの人の遺した形ではなしにあの人の考え方にあるのです」…。 . 遠藤新は、 ライトから引き継いだものを、最後まで守り続けた、 まさに、日本における、ライトの後継者であり、 最大の理解者でした。 . ただ、そのために、 ライトの影響から抜け出すことができなかったと言われ、 その限界を指摘されることもあるようです。 . しかし、 遠藤新は、こんなことを言っています。 . 「日本の建築家は新しいということばかり考え、 正しいということをおろそかにしている」…。 . そして、こんなことも。 . 「自分のライト氏に就いていうべきことは、 『此人は正しい、そして偉大である』で尽きる」…。 . 彼にとって、正しいと思うことを、 まっすぐに追求した、ということなのでしょう。 . 旧近藤邸。 . 溢れ出すような、 迷いのない、確信に満ちた、「ライト流」。 . 揺るぎない信念が、 細部にまで行き届いているようです。 . 本当に、清々しくて、爽快です。 . http://knakama.seesaa.net/article/388077098.html . -- source link