ポテサラ問題───────────────────────────────────────────────────────────────ポテトサラダを買おうとした子供連れの女性が、高齢男性から「母親
ポテサラ問題───────────────────────────────────────────────────────────────ポテトサラダを買おうとした子供連れの女性が、高齢男性から「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」と罵られたという話から勃発した「ポテサラ論争」。自分も数日ほどこの問題についてずっと考えていた。なぜ「ポテトサラダ」なのかと。同じ惣菜でも「コールスローサラダ」や「マカロニサラダ」なら同じことはおこらないような気がするのだ。ボールにいっぱいのポテトサラダが食いてえボールにいっぱいのポテトサラダが食いてえボールにいっぱいのポテトサラダが食いてえボールにいっぱいのポテサラが食いてえこれは人気バンドZAZENBOYSの歌う「ポテトサラダ」の歌詞だ。バンドの売りである重くて速いビートにボーカル向井秀徳の地獄から響いて来るような唸りが乗る。聞く側にすれば「勝手に食べなさいよ」としか思わないが、連呼せずにはいられないほど執着があるのだろう。しかし向井秀徳ほどでなくても、ポテトサラダを好む男性が多い気がするのは気のせいだろうか。例えば男性客が多い角打ちのような飲み屋ではポテトサラダが無いことのほうが稀だし「とりあえずポテサラ」みたいな客も多い。「ポテサラ論争」の男性もとりわけ「ポテトサラダ」に歪んだ執着心があるからこそあのセリフが口に出たのではないか、とそう思った。まぁ、もちろん何より先に思ったのは「放っとけ呆け爺」だったのだが。一番身近な男性、店主(配偶者)もポテトサラダが好きだ。独身時代ほぼ作った事のないポテトサラダだが店主(配偶者)のリクエストが多いため作るようになってはや10年。当初は「水っぽいポテサラは食えない」「ツナとか入れてほしくない」「マヨネーズが足りない」「ホンノリ甘い方がいい」など注文が多く即座に作らなくなった。もともと自分が好きでもないのに、芋がこびりついたスリコギを洗うなどアホらしい事この上ない。すると、いずこからか勝手に入手してきて定期的に摂取している。どうやら体のポテサラ値が下がると死ぬ生き物のようだ。しかしいくら気乗りしないとはいえ、父の畑からの芋がダブつくのでポテトサラダにして消費するしか無い日もある。そうこうしていると店主(配偶者)から「旨い」の声をちらほら聞くようになった。なんとなく定着したコツはこうだ。水っぽくなるので芋は茹ですぎない。野菜は塩をして水を出しかなりよく絞る。ジャガイモは熱いうち皮を剥いて調味すべしとあるが冷めてから皮を剥いて再びレンジで温めれば何も問題ない。ニンジンは別個に茹でるのが正解だろうが、面倒なのでレンジで加熱したものを入れている。これも水気は拭き取る。あとは適当に味付けすればいい。作り過ぎて余れば、ポテトサラダに生卵を割り入れフライパンで焼いて食べている。スパニッシュオムレツのようだがこれもなかなか美味しい。今は、スーパーで売っている惣菜もさまざまに美味しく、自分も利用することがあるが、こういう副産物を楽しめるのは自宅調理ならではの恩恵だと思っている。 -- source link
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