drhaniwa:二・二六事件で鈴木総理の命を救い日本の歴史を支えた女性がいる。鈴木貫太郎の妻タカだ。1945年4月のこと。第二次世界大戦の戦況悪化の中、昭和天皇は密かに敗戦を決意する。天皇はなるべく
drhaniwa:二・二六事件で鈴木総理の命を救い日本の歴史を支えた女性がいる。鈴木貫太郎の妻タカだ。1945年4月のこと。第二次世界大戦の戦況悪化の中、昭和天皇は密かに敗戦を決意する。天皇はなるべく陸軍を刺激せず速やかに戦争を終結すべくかつての侍従長であった鈴木貫太郎に内閣総理大臣への就任を懇願する。頑なに固辞する鈴木に対し昭和天皇は自ら 『この重大な局面で、もうほかに人はいない。頼むから、どうか曲げて承知してもらいたい』と頼んだといわれる。天皇に『総理大臣をやってくれ』と頼まれたのは後にも先にもこの鈴木貫太郎だけだ。その後彼は、終戦処理に奔走する。総理大臣就任後間もないころ彼の人物を象徴する出来事があった。時はまだ戦争中。敵国アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領が脳卒中で急逝する。その時、鈴木が世界に向けて発信した談話は次の通り。「今日の戦争においてアメリカが優勢なのはルーズベルト氏の極めて優れた指導力によるものです。その偉大なる指導者を失ったアメリカ国民に私は深い哀悼の意を送るものであります。しかし、ルーズベルト氏の死によって、日本に対する戦争継続が変わるとは考えておりません。」ドイツのアドルフ・ヒトラーがルーズベルトの死を喜び徹底的に罵倒する声明を発したのとは対照的だ。イギリスBBCはこの鈴木の談話に「東洋の武士道を見よ」と称賛している。鈴木貫太郎が総理大臣を引きうけていなければ日本の歴史は大きく変わっていたかもしれない。 しかし・・・この鈴木の命を救って日本の歴史を支えた女性がいる。鈴木貫太郎の妻タカだ。時は、大戦に入る前の1935年2月26日。侍従長だった鈴木は昭和維新を掲げた陸軍内の一部派閥の青年将校たちの襲撃を受ける。いわゆる二・二六事件だ。足と胸と左頭部に銃撃を受けて瀕死の鈴木。「中隊長殿。とどめを」と叫ぶ下士官に促された陸軍大尉・安藤は軍刀を抜いた。その瞬間。そばにいた妻タカは『お待ちください』といって銃を持った将校の前に立ちはだかった。『老人ですからとどめはおやめ下さい。どうしてもとおっしゃるなら私がとどめをさします』と気丈にも言い放った。どちらにせよもう命はないだろうと判断した安藤大尉は軍刀を収め「鈴木貫太郎閣下に敬礼」と号令をかけてその場を去って行った。これによって鈴木貫太郎は奇跡的に助かり九死に一生を得たのである。狂気じみた青年将校が大勢銃を構えている前で信じられない気丈な行動だ。このタカの行動がなかったら鈴木貫太郎は二・二六事件で亡くなっていて終戦は違った形になっていたかもしれない。また、タカは昭和天皇の養育係(4歳から15歳まで)で、天皇はタカを母親のように慕っていたという。敗戦を決意した昭和天皇の人格形成に少なからず影響を与えていたであろう。まさしく。歴史を支えた女性だと思う。via: 試験に出ない日本史_タカ|コンセントの穴我々 日本人のDNAに 刻み込まれたこの生き様は 決して風化することはないのだと思う。今、その意志に目覚めていようがいまいが 我らは この生き様を受け継いだ者なのだから。http://bit.ly/2ySV3kh (風化) -- source link