k-nakama:建築家、山田守の出発点は、 1920年(大正9年)、 東京帝国大学建築学科卒業直前に、 同級生5人と結成した、 日本初の建築運動、 「分離派建築会」でした。 . 「建築は芸術で
k-nakama: 建築家、山田守の出発点は、 1920年(大正9年)、 東京帝国大学建築学科卒業直前に、 同級生5人と結成した、 日本初の建築運動、 「分離派建築会」でした。 . 「建築は芸術である」と主張した、 この「分離派建築会」の作品は、 当時ドイツで流行していた、 曲面や曲線を多用する、 「表現主義」の影響を強く受けたものが多かったのですが、 中でも、山田守の作品は、 その「表現主義」的な特徴を代表するものでした。 . http://knakama.seesaa.net/article/388077185.html . 『建築家山田守作品集』の「作品リスト」によると、 現存する、一番古い山田守の建築は、 この「門司郵便局電話分室(現NTT門司電気通信レトロ館)」です。 . 「分離派建築会」から4年後の建築。 . アーチ状の列柱が、 角でグニャリと曲がりながら、連続しています。 . 後年には、徐々に、 近代建築の影響を受けて、 よりシンプルな表現へと接近していくことにはなるのですが、 それでも、生涯にわたって、 こうした曲線・曲面を用いた、 流麗で、ダイナミックな表現に、 執拗に、こだわり続けます。 . 新しい建築の影響を受けながらも、 自らの感覚に根ざした「初期衝動」のようなものを、 最後まで失いませんでした。 . 若き日の主張「建築は芸術である」を最後まで貫いた、 稀有な建築家の一人と言えるかもしれません。 . -- source link